その後のあれこれ (People, now)

卒業生や研究室に関係していた皆さんが現在どうしているかは気になる。折に触れて農工大
関係者の消息を中心に書いてみます。といっても差障りがあることは避けます。
でも気になることがあったので,あえて卒業生のリストは削除しました。皆さんことを忘れること
はないのですが,現在の私の気持ちでは削除を選びました。(2017/02/14)

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■車窓からの農工大にがっかりしました(2017/01/06)
  立川まで行き,帰りには新宿に出る用事がありました。中央線が高架となってから何年も経ちましたが 私は
  高架となった列車の窓から農工大を見たことはあまりありません。今日は見られるかなあと期待して目をこらして
  いました。武蔵小金井を過ぎたので緊張していたら すぐに某大学があったはずの場所を過ぎて 次は農工大が
  あるはずです。ところが線路に沿って植えられている木々が高く茂っていてよく見えません。やっとグラウンドが
  見えてきて さあ農工大だと期待したのです。 なんだか薄暗いような建物が現れてきて 確かに “東京農工大
  学”という看板と 次に“工*”という文字が見えました。「工」の次の文字は読みとれませんでした。でも それに
  しても車窓からの景観を考慮していないことに愕然として悲しくなりました。どうしたことなのでしょうか。
  「人は見てくれが9割」という本がありますが 東京農工大学も もう少し見栄えを考て欲しいものです

■1995年学部卒の諸君などと会いました(2016/12/16)
  桑原君が上京するという連絡が森君からあり,急遽都合がつく皆で川崎にて会うこととなった。場所などは森君
  が選んでくれたが,急であり皆は活躍盛りであるから都合の調整が難しく,それでも写真の顔ぶれが駆けつけて
  くれた。昔はあまりきれいではなかったJR川崎駅舎もすっかりきれいにリモデルされて,また街並みもまったく 
  変わって昔の面影が無い。駅地下のアゼリアも最近に改装されてレストラン通りも素晴らしくなった。どこで会う 
  のかなと思っていたら,シネチッタ街の入り口近くのブリュワリとなった。クラフトビール(川崎産)のお店であって,
  リーゾナブルな値段の店である。話は尽きず,また皆の想い出が想い出を呼び起こして際限が無いほどであっ 
  た。私は腰痛になってしまったが,頑張って参加した甲斐がある楽しさであった。
  川崎はいい街になった。l横浜の西口がごたごたと汚くて,やたらと人出が多いのに比べて街並みもきれいだし,
  いろいろなお店がレストラン,蕎麦屋から古本屋,100円ショップまであって本当に楽しい。この辺りは再開発され
  るということだし,そうなったらもっと素晴らしい街となるであろう。

 
  

■ノスタルジア 1(2013/04/23)
  事務所を片付けていたら集金箱?が出てきた。これは学生諸君がお金を出しあって,共通とする必要な雑物,例
  えばお茶やコーヒーなどを買ったりしていて,会計係がこの箱を保管していた。開けてみたらケーヨーD2の領収書
  や十円玉それにゲーム機の?コイン?が残っていた。メモ書きも入っていて,見たら「ウミ,林,ふじふじ,コデラ 
  大王,エンドー,・・・・・・」などと書いてある。
  そのうちになくなってしまうであろうから,記念にここに載せておこう。「想い出,やるせやな」という気持ちである。

               

■鈴木君(1981年卒)と会う (2012/12/06)
  三次元工学シンポジウムで鈴木君と30数年ぶりに会った。まったく学生の頃と同じであった。シンポジウムへの
  出席申込みに彼の名があった。もしやと思ったが,割とある名前だったので,まあ会えば判ると思っていたら,  
  事前にメイルが来て本人と知った。実はこの講演で使おうとしていたスライドに本人の「フィギュア」造りの話があ
  った。しかしまさか彼の会社が仕掛け人とは思ってみなかった。彼は相変わらず元気そのものであった。

■竹山秀彦先生が逝去(2012/12/09)
 機械振興会館で開催されていた光計測シンポジウムに出席していた折に竹山先生が亡くなられたと知らされた。 
 先生と最後にお目にかかかったのは数年以前に奇しくもこの会館の廊下でであった。「歳をとったよ」とはおっしゃっ
 ておぽられたがお元気であった。工作機械関係の委員会にご出席されるとのことで,私も会館内での委員会に出
 席するところであった。私が農工大に移るときには大変のお世話になったのに,恩知らずの私は先生にご迷惑ばか
 りをかけてしまった。個人的な事情から,先生には是非お会いしたいと思っていながら時を過ごしてしまったことを 
 悔やんでいる。ご冥福を祈るのみである。

■展示会でケ鴻群君と会う(2012/04/13)
 埼玉医科大学を辞めて少し自由な時間ができたので,これからは展示会にはもっと行けるはずだと思っていたけれ
ども,実際はそれほどには行く機会がない。春になって展示会のシーズンになったので久しぶりにビッグサイトに出か
けることとした。行ってみたらHIWINが出展していることが判ったので,そのブースに行って訊いたらケ君は来ていると
いう。一回りしてまた戻ってみたら,元気なケ君と再会できた。かつては台湾からの留学生として東京農工大学工学
部に在籍した彼は,現在はHIWINの日本における活動を取り仕切っていて,日本への留学生としてはもっとも成功し
た一人になっていることが嬉しい。さらなる活躍を期待して別れた。

■本間康之先生が亡くなりました(2011)
  材料力学を担当されていた本間先生が亡くなりました。私が公募に応じて農工大に移ることになったときの選考
 委員長でした。またひょっとしたら教養学部時代にも図学を教わっていたかもしれない関係もありました。わずかの
 差で教えを受けませんでしたが,先生も私も教養主義派でしたので,心の中では互いに通じるところがありました。
 もっとお話をしたかったですが,最後は年賀状を通じてのお付合いだけになっていました。ご冥福を祈ります。

小田島二郎さんが亡くなっていました(2011)
 農工大時代に研究室によく来られていました。お見えになるときにはケーキのサバランをお持ちくださることがあっ 
 たので「サバランおじさん」でもありました。某企業の方でしたが,戦時中は中国に在住されていたとのことで,私 
 とは話しがあいました。また,すでに懐メロとなっていた戦前の流行歌がお好きで,ご自分でも歌われ上手でした。
 とくにハイカツ(灰田勝彦)を得意としていました。戦前の流行歌に関しては私も好きでしたので,よく聴かされまし 
 た。「森の小経」など素晴らしかったです。私は歌うことは下手でしたが,当時東小金井にあったドイツ料理店で歌っ
 た「上海ブルース」だけはほめられたことがあります。その後もしばらくはお付合いがあったのですが,なんとなくボ
 タンの掛け違いみたいなことがあってお会いしなくなってしまいました。私が撮った北京理工大・ユーシン教授との
 写真は気に入ってくださって,最後の時にはこれを使おうと冗談を言って笑っていました。もしそんな時が来たら,私
 は「国境のバラライカ」を唄ってお見送りをしようかなどと,これも内心では思っていたのですが,そんなこともなく小
 田島さんは去っていってしまいました。ご冥福を祈るのみです。

■展示会で伊藤君と出会う(2010/12)
  パシフィコ横浜にて「国際画像機器展」が12月8日から10日まで開催された。このところ,私は「光学式内面形状
 計測装置」の開発と製品の普及に関心があるので展示をすることとした。こうした展示をしていると思いかけない方
 がたとあうことがあり,今回は偶然にも98年卒業の伊藤君が立ち寄ってくれた。元気で活躍している様子に嬉しく 
 なってしまった。

■桑原君の結婚披露宴に出席(2010/10/31)
 大学院においてアブラムソン型干渉計に関していい研究をしていた桑原君が5月に結婚をして,その披露宴が諏訪
 で開かれた。ニューヨークに出かける前に案内をもらったのだけれども,その後には北京行きが控えていたのでいさ
 さか体力的に懸念があった。それでも同期であった諸君らに会えたので,ますます楽しかった。とりあえずは懐かし
 い顔ぶれと撮った写真を貼っておこう。あとで書き足します。

 

張君の中華料理店(2009/12/11)
 張慶傑君のことを憶えているだろうか。中国からの留学生で気のいい性格であった。卒業研究では光硬化樹脂に
 よる物体形状の作製を行っていて,三次元形状計測の結果を用いての造形を試みていた。思った以上に頑張って
 くれて,面白い内容の卒論をまとめた。次の機会にはその結果を含めた三次元計測について書いてみたい。
 卒業後にはある証券会社に勤務していたが,バブルがはじけてしまい会社は倒産して苦労をしていたらしい。年賀
 状だけはもらっていたので元気なことは知っていた。そんな彼から突然の電話があって,西荻窪で中華料理店をや
 っているとのことだった。どんな具合なのだろうかと気になって,新宿での会議に出席する途中で下車して尋ねてみ
 た。「駅から30秒」と聞いていたのですぐに見つかった。何年ぶりに会ったのかなあ,昔よりも恰幅がよくなり,
 とても元気そうであった。2007年にこの店を購入したというからたいしたものである。店に居合わせた客から「オウち
 ゃん」と呼ばれていたように,彼は日本国籍を取得して「欧張」という姓になっている。この日は時間が無くて味噌ラ
 ーメンを少なめに作ってもらって味わった。今度はもっとゆっくりと来たいなあ。中華料理屋を始めるなんて,私が教
 えた学生の中でもいささか変り種である。皆さんも機会があったら是非寄ってみてください。
 
    

        張君のお店 「中華料理21」                    元気に頑張る張君

ケ君,エコ君と会う(2007/12/01)
 消息が判明したケ鴻群君のことをエコ君やプラティープ君に知らせた。「バンコックでみんなで会おうよ」という話も 
 出たが,まずはケ君が展示会での説明員として来日するのに合わせて東京で会うこととした。3人が便利そうな 
 東京駅付近でということになってエコ君がアレンジしてくれた。16年ぶりくらいに会ったのだけれども相変わらずに
 元気なケ君だった。「迷子になるといけないから」と携帯番号も教えてくれたけれども,何の心配もなく再会できた。
 一杯やりながら本当に楽しかった。これでプラティ−プ,方子鵬などがいたら,本当に昔のままだった。

          
                 東京駅前にて               久しぶりの2人

ケ鴻群君の消息が判明(2007/10/29))
 私の研究室出身ではないけれども,台湾からの留学生として頑張っていたケ君のことを覚えている人は多いだろ 
 う。あのころは留学生が何人もいてとても楽しかった。真面目学生の代表ともいうべき存在であった彼は卒業後に
 日本企業M社に勤務していたが,その後台湾に戻ってから,別の日系企業S社に所属していた。ずっと年賀状での
 付き合いはあった。しかしS社が台湾から撤退して?しまったころから消息が不明になってしまい,いささか残念な
 思いをしていた。しかし,今日のこと,横浜での展示会に出展していたC社の方からメイルが来て,なんと偶然にも
 ケ君と会ったという。びっくりしてしまった。「日本語がとても堪能なので、日本語がお上手ですね、と言ったところ
 かつて日本に13年住んでいて、東京農工大学で勉強した、とのこと、吉澤先生のお名前を出したら、・・・・・・・・」
 とのことであった。嬉しくなってしまった。台湾のH社で頑張っていて,やはりこの展示会に出展していたようである。
 早速連絡をとり健在を喜び合った。ケ君,頑張ってください。私はカタログを持っているので,そのうち研究室で購入
 しますから。

農工大焼酎を味わう(2007/10)
 いくつかの大学でそれぞれに関連あるものを売るようになっている。農工大でも以前からカルピスやお味噌を
 売っていたが,今度は焼酎も販売しているらしい。大谷さんが送ってくれたので,これは大事にとっておこうと
 暫くは飾っておいたが,ちょっとだけ味をみようと栓をあけ,ロックで一杯やったのがいけません。翌日もついつい
 一杯やりたくなってまたロック。翌日にはまたロックだ,とたちまちに空になってしまった。この焼酎は農工大で
 つくったいもを,大分県のメーカに依頼して焼酎にしたらしい。芋は赤いもとか紅いもとか呼ばれているいもで,
 以前は「ひうが」というブランドの焼酎をよく飲んでいた。もう歳もとったので,そろそろお酒は止めなければいけ
 ないのだけどなあ。大谷君,ありがとう!

             

八高線で栃木明義君と乗合わせる(2006/11/21?)
 西八王子駅付近には企業が多い。ちょっと数えただけで10社はある。だから卒業生諸君に会う機会が多い。
 この日も八王子で座席に座れたのでほっとしていたら,なんとすぐ近くに栃木君が乗り込んできたのでびっくりす 
 る。山梨大学OBの木村君のことも知っているようだ。みんな頑張っていることが頼もしい。ところでこの日がいつで 
 あったか特定できないのだ。11/21かなあと思うのだけれども。実は私は日記をつけていて,毎日欠かしたことはな
 かったのに,11月の2日から21日の間は白紙である。あまりにも時間に追われていて,この辺りだけは書くことが
 出来なかったからだ。この3年ほどはアピカ製"Personal"という小型のノートに日記を記している。これまでにいろい
 ろと使ってみたけれども,最近はこのノートが気に入っている。

今度は電車で松添さんと出会う(2006/07/26)
 講義も最後の週となって,ちょっと気が緩んでいる。いつもより早く大学を出て八王子でちょっと買い物。横浜線に乗
って席を確保してほっとしていたら,階段を急いで降りてくる人がいる。あれっと思ってよく見たら,なんと松添さんで
ある。久しぶりなのでお互いにびっくりした。元気に頑張っていて,三つ子のお子さんも間もなく小学生という。時間が
経つのははやいです。先ごろまでは会社まで3分で行けたのに,自宅を持ったので30分もかかる,10倍も時間がか
かるようになってしまったと,とんでもない贅沢なこぼし方をしている。うらやましい。私の1/6である。でもその分是非
頑張っていただきたい。「今度は八王子で一杯やりましょう」と言って別れた。

通勤電車で山谷君と出会う(2006/05/26)
埼玉医科大学への通勤では横浜線が混む。それとともに八王子から乗り換える八高線も一駅目の北八王子までが
大混雑である。ここにはKシオ,Kンウッド,Oリンパス,Aジレント,Vクター,東京S密,日本B光,ニRコ,その他の企
業がある。だから朝は大変な混雑でプラットホームは人波でいっぱいとなる。ホームにあふれる人で,電車から降り
られないほどであるから大変な状況である。この日は八王子で頑張って席を確保したら(だって私は高麗川まで50分
かかるのであるから)「先生」と声をかけられた。「やはり先生稼業の人が乗っているのかなあ」と思って顔を上げた
ら,なんと山谷謙君である。彼の会社も北八王子から10分である。私も驚いたが,彼もびっくりしたらしい。大学に戻
ったことは卒業生に知らせたのだけれども,どうしたことか彼のアドレスがリストからもれていることに私は気がついて
いた。追加せねばいけないなあと思っていたのだけれども・・・・・。懐かしかった。元気で活躍していることが嬉しい。